シティロフ・ビャチェスラフ・アナトーリエビッチ

1953年5月23日、ヤクート自治共和国トンポンスク地区ハンディグ町に生まれる。

ロシア連邦功労建築技師、サハ(ヤクート)共和国名誉市民、サハ(ヤクート)共和国国民経済功労労働者、国家建設の分野でアンモーソフ国家賞受賞者、イルクーツク国立工科大学名誉教授。名誉勲章、サハ(ヤクート)共和国「極地の星」勲章、第一等ピョートル大帝国際金勲章をそれぞれ受章。

1975年、極東総合工科大学土木建築専攻科を卒業。経済学準博士。

大学卒業後、ソ連邦動力・電化省ビリュイ川水力発電所建設部「ゴクストゥロイ」建設管理局に配置されて勤務。それ以来B.A.シティロフの職歴は常にヤクートと結びついています。

1975年から1986年まで、ソ連邦動力・電化省ビリュイ川水力発電所建設部「ゴクストゥロイ」建設管理局の現場主任、現場監督、第3建設区域責任者、副技師長、生産担当副局長として勤務。

1986年、ソ連邦動力・電化省ビリュイ川水力発電所建設部企業合同体「アイハルエネルゴプロムストゥロイ」副支配人、ソ連邦動力・電化省ビリュイ川水力発電所建設部建設管理局副技師長代理、生産担当部長兼第一副局長に任命される。

1986年から1988年まで、ソ連共産党ヤクート州委員会建設部副部長。1988年から19991年まで、ソ連共産党中央委員会付属社会科学アカデミー院生。準博士学位論文審査にパス。

1991年、ヤクート・サハ共和国建設投資大臣に任命される。

1991年12月、サハ(ヤクート)共和国副大統領に選出される。

1992年から1996年まで、サハ(ヤクート)共和国副大統領および首相。

1996年から2002年まで、株式会社「アルロサ」社長。

1997年12月から2002年1月まで、サハ(ヤクート)共和国国会(イル・トゥメン)議員。

2002年1月13日、サハ(ヤクート)共和国大統領に選出される。2002年1月27日に就任。